(未浩の切ない奇怪談/その1)
2014年6月24日初UP
「せせらぎの記憶」
東京の外れにある川に、
かかる橋。
橋の下で水しぶきがあがる‥
橋の上にいる女は、
息づかいも荒く、
目は血走っている。
川の底に沈む‥
なにかをじっと見つめていた。
連休の初日、
私達は東京の外れにある、
実家に帰郷しました。
水野美奈(みずのみな)
(29才)は、
娘の菜々美(ななみ)
(7才)に、
せかされるように、
実家の側にある河原に、
行くことにしました。
楽しげに私の手を、
引っ張る、菜々美‥
もう川へ行く近道は、
わかっています。
いつもは旦那に、
連れて行って、
もらっていたので、
菜々美と二人で、
その河原に行くのは、
初めてでした。
仕事の都合で明日遅れて、
旦那は実家に来るから、
その時、
行こうという私の意見は‥
強引な菜々美の勢いに、
掻き消されました。
私がちょうど娘の歳頃に、
あった出来事‥
それ以来、
その河原に行くことを、
なるべく避けていたのです。
遠くに河原が見えた時、
私は足が震え、
立ち止ってしまいました。
「どうしたの…ママ?」
せせらぎの音が、
大きくなるにつれて、
あの記憶が、
蘇ってきたのです。
それは‥
高瀬君という、
1歳年上の男の子と、
よく川で遊んでいました。
高瀬君は泳ぎが、
あまり得意ではないので、
河原の隅で小魚を、
よく採っていました。
私は泳ぎが得意という、
自負もあって、
深い場所で泳ぐのが、
好きでした。
その日は、
昨日降った雨の影響で、
水かさが増し、
いつもより流れが、
速くなっていました。
岩場から勢いよく、
飛び込んだ私は、
冷たかった水の、
せいもあって‥
足をつって溺れたのです。
それに気づいた高瀬君は、
私を助けようと、
川に飛び込んで、
必死に手を差しのべますが‥
届きません。
やがて高瀬君は、
下流に流されていって、
しまいました。
私は偶然流れて来た、
木の枝にしがみついて、
一命を取り留めたのです。
泳げないにもかかわらず‥
高瀬君は私を助けようと、
川に飛び込んでくれたのです。
皮肉にも高瀬君は、
数時間後下流で、
発見されました。
あの時‥
私は枝につかまって、
流されて行く、
高瀬君をなにも出来ずに、
見送っていたのです。
都内の高校に行くまでは、
7月のあの日になると、
花を河原に供えていました。
しかし、その後は‥
その河原に、
近づかなくなりました。
もう、20年あまりも、
前の話ですが‥
高瀬君は、
もう私を許して、
くれたのでしょうか‥
川は昔と変わらず、
そこにありました。
「入っていい?」
はしゃぐ菜々美。
浅瀬なら‥なにか‥
あっても大丈夫だろう…
「足をつけるだけよ」
「うん」
菜々美はうれしそうに、
サンダルを脱ぎ、
川に入っていきました。
私もきらきらと輝く、
川を見ていると、
嫌なことも薄らいでいく、
ようでした。
気づくと岩場に腰掛け、
せせらぎの音と、
心地いい陽射しに、
身体をあずけていました。
ふと菜々美を見ると‥
浅瀬で遊んでる菜々美の、
背後の川から、
青白い子供の手が、
延びて菜々美の細い足を、
掴もうとしているのを、
目の当たりしたのです。
はっと‥
するのもつかの間、
その手は、
みるみる菜々美の足を掴み、
川の深みに、
引き摺り込んだのです。
とっさに飛び込み、
菜々美の手を掴みました。
引っ張り上げようとしますが‥
その手も菜々美の足を、
離しません。
心の中で私は叫びました。
お願い離して高瀬君!
菜々美を抱え、
さらに力いっぱい、
引き上げようとします。
そして私は見たのです。
菜々美の足を、
引っ張っていた、
男の子の姿を‥
坊主頭に白いランニング‥
高瀬君じゃない‥!!
その時、
水面から子供の白い手が、
差し伸べられたのです。
薄れる意識の中で、
高瀬君の顔が、
見えたような気がしました。
その手を掴むと、
みるみる水面に、
引き上げられました。
なんとか川岸にたどり着き、
仰向けにたおれる私に、
あの頃のまま変わらぬ、
10歳の高瀬君は言いました。
「こいつ悲しいヤツなんだ‥
母親に橋から落されて‥
これからはオレが、
こいつの友達になってやるから、
もう大丈夫‥」
高瀬君の後ろで、
小さくなるランニングの少年。
「高瀬君‥
わたし‥ごめんなさい‥」
「いいんだよ‥ボク‥
ぜんぜん美奈ちゃんのこと‥
恨んでなんかいないよ」
川の水と涙で、
ぐちゃぐちゃになりながら‥
私は意識を失いました。
抱きしめている、
菜々美の心臓の鼓動と、
せせらぎをいっしょに、
聞きながら‥。
これはその後、
私が意識を取り戻し、
実家に帰ってから、
聞いた話です。
去年の4月の寒い日、
その河原から、
上流にある橋から、
母親が6才の自分の息子を、
突き落として、
死なせるという‥
痛ましい事件が、
あったそうです。
その女は夫に捨てられ、
精神を病んで発作的に、
わが子を橋から、
突き落とした‥と、
自供したそうです。
その子は坊主で、
白いランニング姿だった、
ということです。
おわり