「Shoot Bar [BLOOD]」
ショットバー
『ブラッド』
オリジナルストーリー

＃01
ブラディ・メアリ−

遠くにS線の通る音が、
微かに聞こえる。
19:30
自宅のマンション、
306号室を出る。
佐山恵里(さやま えり)
31才は、
駅に向かって歩く。
駅までは約20分、
いつも通勤に使うルートだ。
この辺りの歩道は、
狭く歩きにくい。
カン
カン
カン
遮断機が上がり、
踏み切りを渡る。
S線沿いの真直ぐ駅に、
伸びる道を歩く。

多くのサラリーマン、
ＯＬらしき帰宅途中の、
人々とすれ違う。
そのほとんどの人は、
すれ違う彼女に、
目もくれず家路を、
急いでいる。
そんなに急いで家に帰って、
一体なにがあるというのか‥
温かい家庭が、
待っているのか？
愛しい恋人が、
待っているのか？
それとも‥
とりとめのない思いが、
通りすぎる。

そろそろ遠くに駅が、
見えてくる。
駅の手前100Ｍを、
右手に曲がると、
その小さなビルはあった。

彼、綾瀬 渡(あやせ わたる)
41才と、
このビルの地下１Ｆにある、
ショットバーに、
初めて来たのは、
確か5年前の秋口だった。

今日、
彼はこのバーにいる‥
土曜の夜は、
いつもそうなのだ。

そのショットバーは、
S線沿線の某駅の西口に、
ある小さなビルの、
地下1Ｆにある。
エントランスを入って、
正面の階段を下りたら、
すぐ手前にある、
レトロな木の扉、
そこがSHOT BAR
[BLOOD]
＜ショットバー
『ブラッド』＞

薄暗く、
こじんまりとした店内、
聞き覚えのある、
ヒットナンバーが、
流れている。
こんなところに、
ショットバーがあるなんて、
なかなか、
気づく人は少ないが、
一度この空間に身を浸すと、
どこより心地いい場所、
深海にたたずむ、
BARという感じか‥

Ｌ字型のカウンターが、
店の真ん中に置いてある。
カウンターの中、
壁の一面にボトルが、
スコッチ、
バーボン、
ラムなど、
ざっと80本天井まで、
埋まっている。
よく見ると、
手前のボトルの奥にも、
ボトルがある。
かなり、
こだわりの店である‥
バーにいったことがある人なら、
すぐにわかるに違いない。
シャカ
シャカ
シャカ
いつものように、
Shot Bar
[BLOOD]
のバーテンダー
夕凪恋香
(ゆうなぎ れんか）が、
シェイカーを振っている。

女性のバーテンダー、
というのもあって、
女性のお客さんも多いが‥
やはり、
夕凪が目当ての男性客が、
主であることは、
彼女を見ればわかる。

黒いベストに、
パンツスタイル、
えんじ色の蝶タイをしてる。
長くて黒い髪は、
えんじ色のリボンで、
後ろで一本にまとめている。
糊の効いた白いワイシャツが、
暗い店内に浮かび上がる。
身長167センチのシャープな、
身体にボーイッシュなスタイルが、
ぴったりとフィットしている。
ワイシャツに負けないくらい、
白い肌に整った顔立ち、
鼻筋が通っていて、
黒い瞳は大きくわりと鋭い。
厚い唇はグロスで、
濡れて光っている。
たいていの男なら、
この魅力的な唇に自分の唇を、
一度は吸われてみたい‥
と思うに違いない。
年齢は不詳である。
見方によっては、
20代にも見えるし、
30代にも見える。
美しさと妖しさを、
兼ね備えている。

恵里が店に入るなり、
夕凪はチラと、
こちらを見て会釈した。
カウンターに座っている客は、
気づかなかったに違いない。
暗黙の了解‥
彼女は全て、
わかっているようだった。

彼の綾瀬は、
バーボンのロックを、
飲んでいた。
カラン
カラン
指で丸い氷を回している。
いつもの癖だ。

恵里は彼の左隣りに座った。

彼は恵里に目もくれず、
バーボンを飲み干す。
「ねえ〜夕凪さんも、
一杯どお？」

「はい、いただきます」
徐にカクテルを作り出す。
10オンスのタンブラーに、
ウォッカ、1ジガ−に、
氷りをくわえ、
トマトジュースで満たす。

出来上がった、
タンブラーの中の、
真っ赤なカクテルを、
綾瀬の隣にいる、
佐山恵里の前へ、
コースターを置き差し出す。

綾瀬はポカンとしてる。
「あれ？夕凪さんが、
飲むんじゃないの‥
誰もいないよココ」

「いいえ、いますよ。
お隣に‥
彼女の佐山恵里さんが‥」

「！！！！」
綾瀬は恐る恐る、
左隣りの木の座席を、
覗きこむ。

「じゃ‥これは‥？」

「はい、恵里さんが、
お好きだった‥
ブラディ・メアリ−です」

綾瀬は小刻みに震え、
額から油汗が、
だらだらと溢れだす。
「ううっ‥うそだ‥
夕凪さん冗談きついな〜‥
ここに恵里が‥?!」
隣の席と夕凪を、
交互に見ている。

夕凪はまったく、
動揺していない、
様子で言った。
「嘘だと思うなら‥
そのカクテルを、
飲んで見てください」

恐る恐る、
タンブラーに、
手をのばす綾瀬。
ゴクリ‥
真っ赤な液体が、
綾瀬の喉を通り過ぎる。
トマトの酸味が、
ウォッカの刺激を、
和らげほどよく調和し、
さらりと喉に入ってくる。
いつも恵里は、
こんなおいしい、
カクテルを飲んでいたのか‥
あらためて彼女のことを、
何も知らなかったことを、
思い知らされる。
ブラッディ・メアリ−があっという間に、
血液のように体中に行き渡る。

すると‥綾瀬の左目の視野に、
今までそこにはなかったはずの、
人影が見えてくる。
酔っているわけではない‥
それは綾瀬本人が、
一番わかっていた。
徐に振り向いたその顔は、
血みどろの恵里の顔だった。
「ぐぅわあああああああ」
クールな顔が恐怖に歪み、
椅子から転げ落ちそうになる。
綾瀬は生まれてこの方、
一度も幽霊など‥
見たこともなかった。

その瞬間‥綾瀬は、
つい5時間前の記憶を、
思い返していた。

彼女のマンションの寝室。
白いシーツがみるみる、
真っ赤に染まっていく‥
手には日頃、
筋力アップに使っていた、
5㎏の鉄アレイが、
握られていた。

二人は会社で出会って、
男女の関係になった。
10才年上の綾瀬には、
家庭があり‥
いわゆる不倫だった。
金曜の夜に、
恵里のマンションに泊まり、
翌日はブラッドに寄り、
アルコールを入れてから、
自宅へ帰る。
だらだらと5年もの間、
それが当たり前になっていた。

初めから家庭を壊すことなど、
綾瀬にはできなかった。
「奥さんと別れてくれなきゃ‥
二人のことをばらすわ」
いままで、
あんなに愛しいと、
思った女の顔が、
別の不気味な生き物、
のように見えた。

「どうする？この後、
ブラッドいくでしょ‥」
恵里が寝返りを打った瞬間、
ベッドの下にある、
鉄アレイを掴み、
そして、恵里の後頭部目掛けて、
思いきり振り下ろした。
白いシーツがみるみる、
赤く染まっていく‥

ふらふらと綾瀬は、
バーを出ていった。

いつの間にか、
バーには客はいなくなっていた。
いや、
佐山恵里を除いてである‥
佐山恵里の顔に、
もう血の痕はなく、
いつものやさしい顔に、
戻っていた。
そして、
ブラディ・メアリ−を、
飲みながら、
悲しそうに微笑んだ。
「夕凪さんには、
見えるんですね‥」

「‥‥」
夕凪は肯定とも否定とも、
とれるような複雑な表情をした。

「最後に夕凪さんの、
ブラディ・メアリ−が、
飲めて‥
よかった‥」
恵里はそっと微笑んで、
静かに消えていった。
カウンターには、
飲み干された、
タンブラーグラスが、
ぽつんと残されていた。

夕凪は、
それを片付けると‥
つぶやいた。
「さて、そろそろ店じまいに‥
しますか‥」

店の時計は、
夜中の2：00になる、
ところだった。

夕凪がブラッドの看板を、
店内に入れて、
店終いをしている頃、
綾瀬はバーを出たその足で、
暫く夜風で酔いを、
さましながら彷徨い、
ようやく北口にある、
警察署のドアの前に、
たどり着いていた。

-CLOSED-